词义解释
温羅
[うら] [ura]温羅が、製鉄技術を朝鮮からもたらした技術者だったのではないかという説がある。
その鉄を源にして吉備の中心的な勢力となったが、大和朝廷側の目論見で征服されてしまったのだという。
事実、吉備では古来から製鉄が行われており、日本刀の”備前”などの発展は、吉備や出雲での製鉄を基盤にしたものだった。
ただ、吉備津彦命と温羅と製鉄を一直線に結びつけるのには、やや無理がある。
製鉄は日本では3世紀頃には行われていたのではないかといわれているものの、朝鮮からの積極的な技術導入によって爆発的に発展したのは西暦400~700年のこと。
また、”鬼の城”の建築年代は西暦500~700年頃のもので、その時代の朝鮮の築城方式とよく似ているとのこと。
対して、吉備津彦命がいたとされる第7代孝霊天皇から第11代垂仁天皇にかけての時代は広く取っても西暦200~400年と推定されている。
要するに現在調査されている歴史的証拠では、やや時代が合わない。
もし吉備津彦命と温羅と製鉄を一直線に結びつけるのなら、孝霊天皇の子の五十狭芹彦命ではない、2人目の吉備津彦命が必要となるだろう。
もともと、吉備の伝説中では温羅に関係する鉄は釜だけで、他の関連性は薄いと言わざるを得ない。