词义解释
裏
[うら] [ura]②【名】
(1)背面〔うしろ側)。 色紙(いろがみ)のうら/彩纸的背面。
手のうら/手掌。
うらの通り/后街。
うらへ回る/往后(门)绕。
うら山/后山。
うらをつける/挂上里子。
靴のうらを張りかえる/换鞋底。
うらで策略をめぐらす/幕后策划。
マスコミ界のうら/宣传报道界的内幕。
うらの意味/背后的意思。
心のうらを見すかす/看穿内心深处。
あの人は表とうらがちがう/那个人表里不一致。
法律のうらをくぐる/钻法律的空子。
彼のことばのうらには暗黙の了解が読まれた/看出他的话里面有默认的意思。
裏をかく/ 出其不意
浦
[うら] [ura]【名】
(1)海湾,湖岔。(入り江。海などの比較的小さな湾入部。)田子のうら。/田子浦。
(2)海滨。(海辺 や海岸のこと。)うらの苫屋。/海滨的茅屋。
裏
[うら] [ura]②【名】
(1)背面;后面;反面(表面と反対の面。下または陰になって見えない部分)。小切手のうらに署名する/支票的背面签字;背书。
(2)内情,隐情(表面には現れない隠された内部の事情。内情)。彼の発言にはうらがある/他的发言另有隐情。
(3)后半场(野球で,後攻チームの攻撃するイニング)。(4)后面(前面・正面の反対側。うしろ)。
うらの出口/后门。
宇良
[うら] [ura]【日本地名】
温羅
[うら] [ura]温羅が、製鉄技術を朝鮮からもたらした技術者だったのではないかという説がある。
その鉄を源にして吉備の中心的な勢力となったが、大和朝廷側の目論見で征服されてしまったのだという。
事実、吉備では古来から製鉄が行われており、日本刀の”備前”などの発展は、吉備や出雲での製鉄を基盤にしたものだった。
ただ、吉備津彦命と温羅と製鉄を一直線に結びつけるのには、やや無理がある。
製鉄は日本では3世紀頃には行われていたのではないかといわれているものの、朝鮮からの積極的な技術導入によって爆発的に発展したのは西暦400~700年のこと。
また、”鬼の城”の建築年代は西暦500~700年頃のもので、その時代の朝鮮の築城方式とよく似ているとのこと。
対して、吉備津彦命がいたとされる第7代孝霊天皇から第11代垂仁天皇にかけての時代は広く取っても西暦200~400年と推定されている。
要するに現在調査されている歴史的証拠では、やや時代が合わない。
もし吉備津彦命と温羅と製鉄を一直線に結びつけるのなら、孝霊天皇の子の五十狭芹彦命ではない、2人目の吉備津彦命が必要となるだろう。
もともと、吉備の伝説中では温羅に関係する鉄は釜だけで、他の関連性は薄いと言わざるを得ない。
うら
[うら] [ura]后台;隐蔽面;背面